桜川市市制施行20周年記念絵画コンクール・作文コンテスト作品をご紹介します。
桜川市は令和7年10月1日に3町村(旧岩瀬町、旧大和村、旧真壁町)の合併から20周年を迎えます。この節目を記念し、市制施行20周年記念事業の一環として、市内の小中学生を対象に絵画コンクールおよび作文コンテストの作品を募集しました。子どもたちが「未来の桜川市」をテーマに思い描き、心を込めて制作した作品の数々をご紹介します。
絵画の部
最優秀賞 大和中学校2年生 北本陽万里さん
「人と自然と桜川と」

優秀賞 岩瀬東中学校3年生 塚田夏季さん
「大切は変わらない」

優秀賞 岩瀬西中学校2生年 鈴木花音さん
「大自然と笑顔あふれる桜川市」

優秀賞 大和中学校3年生 中野晴香さん
「今描いた未来が、花ひらく」

入選 真壁学園義務教育学校7年生 落合真希さん
「20年後の桜川市」

入選 岩瀬西中学校2年生 菅谷栞愛さん
「人と人を結ぶ「桜川ドーム」」

入選 岩瀬西中学校1年生 中條礼香さん
「未来のラスカ」

入選 大和中学校3年生 塚田果暖さん
「変わらない桜川市」

入選 岩瀬東中学校3年生 瀬尾真夢さん
「色褪せぬヤマザクラ」

入選 岩瀬東中学校2年生 藤田結瑞さん
「きっと明るい道の先」

作文の部
最優秀賞 雨引小学校6年生 利根川梨花さん
「自然がいっぱい、笑顔がいっぱい」
私は、私が住んでいる桜川市の二十年後も地域の人々とのつながりを大切にする、自然がたくさんある桜川市だったらいいなと思います。その理由は二つあります。
理由の一つ目は、地域の人々とのつながりについてです。今の桜川市は、笑顔がたくさんあふれていますが、二十年後には、もっともっと笑顔や私達のような子ども達の笑い声がたくさんあふれるといいなと思うからです。老若男女問わず仲よくなれば、きっと地域の仲よしさ全国一位を目指し、桜川市がもっと明るくなると思います。そのためには、地域の人たちとのつながりをもっと強くするイベントをもっと増やすといいと思います。具体的な例は、地域のキャラクターとのふれあいイベントや、桜川市の絶品料理祭などの桜川市のみ力をつめこむと、たくさんの人が集まると思います。
理由の二つ目は、今の環境のままキープし続ければ、毎日、自然を感じることがいつ、どこでも出来るようになるからです。桜川市にたくさん生えているヤマザクラも、何十年もかけて、何人もの力をもらって育っていてその木を切ってしまうと、山の景色が宝石のように綺麗にはなりません。そのため、切るのではなく私たちがヤマザクラを育てることが、自然いっぱいになる秘訣だと私は思います。二十年後も綺麗な景色が残り、桜川市だけの物になるからです。きれいにし続けるには、今からでも地域の中での取り組みが大切だと思います。取り組みの具体的な例は、自然を大切にするために、ゴミ拾いをしたり、車ではなく、リンリンロードを使って自転車や徒歩移動をしたりして、環境にやさしい行動をこころがけます。
自然がいっぱい、笑顔がいっぱいな桜川市が二十年後も、百年後も、この先ずっと続くように、市民としてがんばります。
優秀賞 坂戸小学校5年生 岡田夢那さん
「二十年後の桜川市」
わたしが住んでいる桜川市は、いなかで田んぼがいっぱいあります。そんな桜川市を、いい町だと私は思っています。なぜなら、お米がとてもおいしいからです。
今、日本ではお米が不足していて、米の値段が高いというニュースをテレビでよく見ます。私は米不足を、これからの桜川市で解決できないだろうかと考えました。
米不足の原因の一つとして、地球の気温が高くなっていることが考えられます。これからも、地球温暖化と共に気温が高くなると思います。現在の品種では、暑さによって品質が落ちてしまいます。そのため、気温が高くなっても大丈夫なイネを桜川市で研究して、「桜舞(さくらまい)」というお米を作ることができるといいと思いました。桜川市のブランド米ができたら、豊かな自然ときれいな桜川の水によって、おいしいお米ができると思います。
米を作る人たちの高れい化と、米を作る人が少なくなっていることも、米不足の原因だと思います。これを解決するために、桜川市でお米を作る人を増やしていけばいいのではないかと思いました。桜川市のお米をブランド化し、お米のいいところを新聞やチラシ、SNSなどでせん伝したり、インターネット販売を進めたりすることで、全国に桜川市の「桜舞(さくらまい)」が伝わります。おいしいお米が広がれば、そのお米を作りたいと考える人が増えてくると思います。そうして、「桜川市でお米を育てたい!」という人を集め、お米を育てることが米不足の解決につながります。また、米農家さんが増えることで、桜川市の人口も増え、町の活性化も一緒にできます。
みんながたくさんのお米を食べて幸せになると共に、桜川市も盛り上げることができるので、これからの二十年間は、米作りに力を入れてほしいと思います。
優秀賞 真壁学園義務教育学校4年生 鈴木友二さん
「二十年後の桜川」
「二十年後の桜川」と聞いて、ぼくはそのころもう三十才だなと思いました。三十才のぼくは何をしているのだろうか。地域や人々のために働きたいというぼくのゆめはじつげんできているだろうか。未来がどうなっているかそうぞうもつかないけれど、ぼくの生まれ育った桜川市がどうなってほしいか考えてみました。
ぼくが住んでいる桜川市は、自然がいっぱいです。春は色とりどりの花とひびくウグイスの鳴き声。夏は新緑がゆたかなつくば山と雲一つない空。秋は紅葉といちょう、色づく山に飛ぶトンボ。冬は寒さに負けずに咲くスイセンとかがやく星空。四季で風景が変わる桜川市の自然は、大切な宝物です。
ビルやデパートなどがたくさんたち、人がふえれば便利になり、働く場所もふえて地いきの活気もわいてきたりします。
でもぼくは、桜川市の自然や町なみが大好きなので、今のままの桜川市がいいです。一つ言えるなら、全部の地いきに、みんなで遊べる公園がほしいです。今は公園がどんどん少なくなってしまっています。公園がふえると体を動かすき会がふえて、体力が向上するし、地いきの人との交流の場になり、地いきが一体化します。色々とゆたかになり便利になるのはうれしいけど、自然が破壊されてなくなるのはさみしいです。
だからぼくは、今の桜川市の自然を大切にしながら、多くの人が使える公園がふえたらいいなと思います。自然を大切にして、いつまでも自然といっしょに生活していきたいです。それが、ぼくが思いえがく二十年後の桜川市の未来です。
ぼくは、生まれてからずっと桜川市で育って来ました。桜川市に住んでいることは、ぼくの幸せです。二十年後ぼくは、けっこんして新しい家族がふえているかもしれません。
ぼくもまだまだ公園で遊んだりしたいし、すてきな自然といっしょにすごしていたいです。これから生まれてくる小さな子たちにも、その先もずっと、ほこりをもってじまんできる、幸せいっぱいの桜川市であり続けてほしいです。
優秀賞 羽黒小学校6年 仲田崇悟さん
「僕の公約 ~二十年後の桜川市~」
僕は、二十年後桜川市長選に立候補したいと思う。そのときに、次にような公約を掲げたいと思う。
こんにちは。この度、桜川市の市長に立候補した仲田しゅうごです。市民が幸せな桜川市を願って、次のことをお約束します。
一つ目に、市民の声を活かせるまちにします。市を動かす税金を払っている人は市民たちなので「この市に住んでいてよかった」とか「自分たちで払った税金がこれまで以上にちゃんと使われている」という声が聞こえてくるまちにします。
そのためにも皆さんにしていただきたいことがあります。意見をしっかりとお伝えいただきたいです。市を動かすのは皆さんなので、不満でも良いのでお伝えください。
皆さんにはどんな希望がありますか。僕が十二歳の時はこんな希望がありました。それは桜川市の人口が増えていてほしいという願いです。皆さん、職場に行くのに時間がかかるなと思いませんか?桜川市に大きな企業があれば、職場が近くなり、桜川市に住む人が増えます。人口が増えることで桜川市での生活が豊かになります。まさに一石二鳥です。
僕は、人口を増やすために、子どもを安心して産むことができる環境をつくるようにします。それは市内で赤ちゃんが産むことができるように、産婦人科を桜川市にあるようにします。桜川市に産婦人科ができれば、わざわざ市外や遠いところまで行かなくてすみ、安心して赤ちゃんを産めると思います。
僕が市長になったら、この公約を実現して、人口減少、人口流出を抑え、人口増出へとしていき、活気のある桜川市にしたいと思っています。どうぞ、僕にあなたの清き一票をお願いします!
二十年後にこれらがもう実現していたら僕は桜川市をさらに発展させる公約を考えたい。
特別賞 岩瀬小学校4年生 栗崎夏那さん
「二十年後の桜川市」
わたしにとって桜川市は、みんなに自まんできる、とてもすてきな市だと思っています。その理由は二つあります。
一つめは、緑が豊かなところです。桜川市はとても自然が豊かです。私はその自然の中で遊ぶのが大好きです。私の家のまわりにはたくさんの草花があって、四つ葉のクローバー探しをすることがあります。これも桜川市に自然が豊かなおかげだと思っています。
二つめは、緑豊かではあるけれど、いろいろなお店もあって便利なところです。桜川市には、生活に必要なお店もあってとてもべんりです。家族と一緒にスーパーに行くと、桜川市で作られた野菜が売っています。家で、その野菜を食べると「とても新鮮でおいしいな」と感じます。
わたしは今、十才なので桜川市は私が生まれる十年前からあることになります。わたしは、小学校に入学する少し前に桜川市引っ越してきました。なので、桜川市については知っていることばかりではないけれど、これからもっと桜川市のことを知りたいと思っています。
わたしはまだ十才なので、今、桜川市のためにできることはかぎられています。けれど、桜川市ができてから同じ二十年後、わたしは三十才になっています。そのころにはきっと今よりもたくさんのことができるようになっていると思います。そのときには、桜川市がよりよくなるように働いていけたらいいなと思っています。
桜川市はわたしにとって、とても大切な存在です。
特別賞 大国小学校6年生 増渕萌さん
「拝啓、過去の僕らへ」
近未来化が進む二千四十五年。しかし、そうは言っても桜川市は変わらず自然溢れる豊かな土地だ。だからこそ、それは今の日本には、珍しく、桜川市は貴重な場所となっている。しかし、それだけではない。桜川市は数々の社会問題打破のため、二つの対策が行われているのだ。
その一つが自然を思いやるための対策だ。豊かな自然を生かし、地球温暖化打開策として間伐材を使うことを推薦し、発信している。今や国内でも有数の発信地だ。用途は多く、特に建材。一般的なのは、鉄筋コンクリートの耐久性が優れているものだが、桜川市では間伐材で作られた建物が数多くある。その多くは、公共施設である。木材の温かみで今まで疎かになっていた、自然のゆとりで目や心にいやしを与えてくれる。質のいい桜川市の間伐材は鉄筋コンクリートより安く、耐久性も申し分なし。さらには環境問題も解決できる。
そして二つ目。少子化に対する問題である。少子化は、昔より悪化している。原因は、子育てにかかる多くの費用など、子育てのデメリットが大きいと思った若者が大半であるためだ。桜川市は、その問題を解決するために、環境を整備した。緑溢れる社会を保持し、自然の豊かさで子供の感性を養う大切さを、一番に考える。木のぬくもりある建物は、子供の心を育む場になっていた。もちろん増えたのは子に優しい施設だけではなく、色々な世代に優しい施設満載である。そんな様々な世代に優しい桜川市は、多くの世代で栄えている「自然と人にやさしい」持続可能な日本を代表とする市になった。
二千四十五年、世の中のものが次々と進化している過去から現在にかけて私の故郷桜川市の様々な人達がこの世の中を良くしようと努力してきた結晶なのだ。これからは、社会を作ってくれていた人々が僕らにしてくれたことを、数世代後の人々に繋いでいく。人に支えられ、人を支える、そんな素敵な未来で僕らは今日も過ごしています。
未来の僕らより
特別賞 南飯田小学校6年生 佐藤律さん
「二十年後の桜川市」
二十年後の桜川市について三つに分けて私の意見を説明します。
まず、地域の活性化についてです。さまざまな公共施設などが増えていると思います。子育てをしている人達にさまざまな支援や子供を育てやすい環境を作っていると思います。市民のことを第一に考えている行動が高く評価され、桜川市の総人口も増えていると私は考えます。
次に、歴史と自然の調和するまちづくりについてです。今までの桜川市の歴史を生かした取り組みや環境によい取り組みなどがたくさん増えていると思います。例えば、真壁伝承館のような建物ができたり、さくらすなどのたくさん人が集まるような場所に桜川の歴史についてまとめたポスターや、本などを貸し出したりします。また、リサイクルショップや、リサイクルの工場を作ってペットボトルなどを、市の全体から集めて、加工をして国全体に、加工した商品を届けるなどの活動をしていると思います。
それから、次世代の教育・文化活動についてです。一人一人の意見や考えなどに耳を傾けて個人の意見を反映できる社会になっていると思います。また、デモ活動などをして、桜川市の人たち一人一人、年齢問わずたくさんの人に桜川市の歴史が伝わっていくと思います。
最後に、桜川市は、どんどん発展していって、誰もが暮らしやすい市になっていくと考えます。
入選 岩瀬小学校4年生 浦田陽琉さん
「じまんの桜川市」
ぼくが桜川市のすきなところは二つあります。
一つ目は、山桜です。山桜はすごくきれいで、千三百年のれきしがあります。昔から桜川市の山桜は美しく、多くの人に守られてきたのです。ぼくは小学校の入学式のときに、家族と山桜を見に行きました。まだ満開ではない桜もあったけれど、とてもきれいでした。このきれいな山桜が、これから先の未来もあり続けてほしいなと思っています。
二つ目は、真かべの昔の町なみです。中でも「旧真かべゆうびん局」が、ぼくのお気に入りです。おばあちゃんとスーパーに買い物に行ったときに、旧真かべゆうびん局の前を通りました。ぼくは昔から使われている物や建物が好きなので、旧真かべゆうびん局を見たときに、どんな建物なのか知りたくなりました。そこでインターネットで調べました。旧真かべゆうびん局が、ドラマのさつえいにも使用されたと知りました。こんな有名な建物がぼくの住んでいる市にあることを、ほこりに思います。また、真かべではひな祭りが行われています。昔の町なみにたくさんのひな人形がならんでいるのを見て、町の人達が協力してひな人形を守り、かざってくれているのを感じました。
二十年後、桜川市のすきなところがもっと人気になっていたらいいなと思います。特に真かべのひな祭りでは、もっと多くの家にひな人形をかざってもらって、多くの人に見てもらいたいと思います。また桜まつりでも、もっと多くの人に、桜川市じまんの山桜を見てもらいたいです。ぼくは二十年後大人になって、桜川市に住んでいない友達や知り合いの人にも、自然や文化のイベントを通して、桜川市のよさを伝えていきたいです。
入選 岩瀬小学校4年生 鈴木尊さん
「桜川市の美しい桜やあじさい」
ぼくは、自然ゆたかなところが桜川市のいいところだと思います。ぼくはそう合の学習で、桜川市の桜について調べました。桜川市の桜は、種類がほうふです。花びらの枚数や形は、少しずつちがいがあります。ぼくは、それぞれの桜に美しさがあり、きれいだと思いました。ぼくは入学式のあと、ランドセルを背負って、サクラスの後ろにある桜を見に行きました。桜は満開で、とてもきれいでした。桜川市に住んでいる人も、桜川市を電車や車で通る人も、桜川市の桜の美しさを知っていると思います。
でも、桜川市は今、あじさいの方が有名だと思います。雨引観音のすてきなイベントに多くの観光客がおとずれて、何枚も写真をとっているからです。
ぼくはあじさいもきれいだと思うけれど、 やっぱり桜の美しさをもっと多くの観光客に見てもらいたいです。なぜなら、桜川市の桜の方がれきしがあるからです。ぼくは、桜川の名前の由来にもなっている、桜のれきしを大切にしたいです。
そして、これから二十年たっても、他の市の人が見たいと思うような、美しい桜の花をたくさんさかせてほしいです。そのためには今ある桜をへらさないように、守っていく必要があると思います。ぼくは桜を守るためのボランティア活動があったら、ぜひ参加したいです。
また、新しい桜の種類も開発して、今よりももっとたくさんの種類の桜が楽しめたらいいと思います。花びらの形を開発して大きな花びらや、細長い花びらなど、他にはない形があったらおもしろいと思ったからです。 そして散ったあともいろいろな形の花びらを見つけて楽しめると思います。これからも、 桜川市の自然をみんなで守り、親しんでいきたいです。
入選 坂戸小学校6年生 渡邊凛さん
「二十年後の未来」
二十年後、未来の桜川市は、自然と人々が調和した素敵な桜川市になっていてほしいです。
そのような未来にするためには、市民である私たち一人一人ができることに取り組んでいかなくてはなりません。
春の桜川市では、山々を彩る美しいヤマザクラが咲きます。たくさんの種類のヤマザクラが山一面に咲き誇る景色は桜川市の大きな魅力です。二十年後もその美しさを残すために、登山道の整備や保全、育成活動などに取り組む必要があります。また、歴史に残していくためには、学校でヤマザクラに関することをいっぱい学んで、次の世代に受け継いでいくことが大切だと思います。さらには、このヤマザクラの美しさが、日本全国にも知れ渡って欲しいです。
しかしながら、今の桜川市のままでは、素敵な自然を次世代に受け継いていくことが難しいかもしれません。その原因になっているのが、桜川市の人口減少です。桜川市の人口は、少子高齢化の影響で減少傾向にあります。市では、「人口ビジョン」を策定し、人口維持の目標を掲げています。人口を維持、増加させるためには、たくさんの人に桜川市に来てもらうことも必要だと思います。そのためには、桜川市の魅力である、自然豊かで住みやすい環境であることを、たくさん発信していく必要があると考えます。
桜川市の美しい自然を守り、残していくために、桜川市の魅力をたくさん発信し、人口を増やし、たくさんの市民で美しい自然を支えていくことが大切だと考えます。」
私も、今、桜川市のためにできることに進んで取り組んでいきたいです。
二十年後の未来が、今よりももっとよい桜川市になっていると信じています。
入選 坂戸小学校4年生 仁平知里さん
「未来のわたしと桜川」
二十年後のわたしたちはどうなっているのでしょうか。そしてこの桜川市はどのような姿になっているのでしょうか。もうすぐ十歳になるわたしは、今から二十年後、そう、わたしが三十歳の大人になったときの未来の姿を想ぞうしてみることにしました。
わたしが住んでいる桜川市は、きれいなヤマザクラが有名です。昔から「西の吉野、東の桜川」と言われるだけあって、春にはたくさんのヤマザクラがさきます。わたしは、このヤマザクラをずっと大切にして、二十年後もたくさんのヤマザクラがさいているようにしていきたいです。ヤマザクラをみる人たちは、みんな笑顔です。ヤマサクラを守り、みんなの笑顔も守りたいのです。
みんなの笑顔を守るために、わたしは、「桜川市はいいところだよ」「桜川市に来てください」と全国の人に伝える活動もしていきたいと考えています。YOUTUBEやインスタなどのSNSを使って、全国に桜川市のよいところを広めていきます。二十年後、わたしがちょうど三十歳になったころには、わたしの活動が成功しているといいです。そうすれば、桜川市にたくさんの人が遊びに来たり引っこしてくるようになると思います。桜川市の人口もふえるでしょう。そうなったら、 おいしい新せんな野菜やお肉をもっとたくさん作れるようにしたり、子どもの遊び場をもっとふやしたり、子どもから大人まで楽しめるスペースを作ったりします。桜川市をもっともっといいまちにしたいのです。
わたしは桜川市が大好きです。これからもずっと桜川市でくらしていきたいのです。だから、桜川市のいいところをたくさんみつけて全国に発信していきます。
今日は七夕です。天の川に心をこめてお願いをしました。二十年後の自分が桜川市を救えますように。
入選 南飯田小学校5年生 中原ほのかさん
「二十年後でも自然をいかす桜川市」
二十年後のわたしは三十さいになります。
わたしが大人になったころの桜川市は、どのようになっているのか考えました。現在、桜川市の人口は四万人くらいですが、二十年後には二万四千人くらいにへるといわれています。人口がへるとお店や学校もなくなり、桜川市が静かになってしまうかもしれません。とてもさびしいことです。でも、わたしは桜川市には明るい未来があると願っています。
桜川市のいいところは、なんといっても自然がゆたかで、自然の中でくらせることです。 春には町のあちこちでたくさんの種類の桜がさき、風にのって花びらがひらひらとまう様子がとてもきれいです。わたしは家族といっしょに富谷山にのぼって、初日の出を見たことがあります。山の上から見る空はとても広く太陽の光はまぶしく、心に残る景色でした。
このすばらしい自然を生かして、川遊びができる場所やキャンプ場、山登りができるコ ―スを増やしたら、町の人も楽しめるし、観光客も増えると思います。そうすれば、町が明るく元気になっていくと考えます。子どもたちや桜川市以外の人たちのために、仕事を学べる場や体験できる場所などができると、 職場体験や校外学習につながったり、見に来た人にも人気が出たりするので、桜川市に住みたい人も増えると思います。また、桜川市には昔から続いている行事や祭りもあります。たとえば真壁のひな祭りでは、町の人が力を合わせて家に古くから続く人形かざりをして観光客や町の人たちをむかえます。こうした行事は、町の人のつながりを強くし、これからも大切にしたい文化です。子どもたちの学びの場も、もっと増えると思います。自然の生き物や桜の木について学ぶ時間や町の歴史を調べてまとめる学習、畑で野菜を育てる体験などもでき、町のよさを自分の目と体で知ることができます。
このように町のよさを知り、町を好きになることが二十年後を作る力になり、わたしもそんな未来の桜川市を作る人になりたいです。
入選 南飯田小学校4年生 常世田明憲さん
「二十年後の桜川市」
ぼくが思う二十年後の桜川市は桜や木がいっぱいある緑豊かな市になっていると思います。
二十年後は今よりも高齢者がふえて老人ホームや高齢者向けの施設がふえると思います。
二十年後は今はない遊園地を作ってほしいです。他の県、市町村の人でも遊園地やその他の建物を目当てに一人でも多くの人に桜川市の魅力をつたえたいです。
二十年後は図書館や公園などの公共施設がふえてほしいです。桜川市は、レストランがあまりないのでレストランもふやしてほしいです。(回転寿司屋、ステーキ屋)
二十年後はレストランの料理をドローンで運んで家で出来たての料理が食べれるかもしれません。ぼくは盛岡冷麺が好きなのでもしドローンで料理を運べるようになったらぼくが最初に頼むのは盛岡冷麺だと思います。
映画の「バックトゥーザ・フューチャー」でみたスニーカーが自動で履けたり、空中に浮くホバーホードが面白かったので開発されたらのってみたいです。
もしかしたら二十年後はデロリアン(タイムマシン)があるかもしれないのであったら乗ってさらに未来へ行ってきたいです。
二十年後はぼくが二十九歳なので電車で会社に行っているかもしれません。もしかしたら電車が新幹線並みに速くなっているのかもしれません。
二十年後はもしかしたら桜川市にビルが何個もたっているかもしれません。そしてお店もふえているかもしれません。(クレーンゲーム、本屋、食品店)
二十年後は桜川市に映画館があるかもしれません。ぼくはゲームなどの映画が好きなので映画館がたったらなんらかのゲームの映画を見に行きます。
二十年はもしかしたら当たり前のように車が空を飛んでいるかもしもません。
ぼくは環境にやさしい人になりたいです。
入選 羽黒小学校6年生 猪瀬美音里さん
「私の願いと私の見た夢」
朝七時。お母さんの声で目が覚めた。
「え?今の何?」
私は夢を見ていた。二十年後の桜川市の夢だ。ちょっとどこかが変わったみたいだけれど、ヤマザクラや新緑など四季折々の姿を見せる山。自然に囲まれた風景。ランドセルを背負った小学生が登校している。これから道を渡るみたい。信号がないところみたいだけど、大丈夫かな。ランドセルの子たちが横断歩道の前まで来ると、ゆっくりと車が止まった。「ありがとうございまーす」とニコニコして子どもたちが渡る。それを見て手を振る運転手さん。なんかいいなぁ。
夢の中の桜川市は、事件や事故がなくなっていた。だから事件や事故にあって嫌な気持ちになる人も命を落としてしまう人もいない。夢の中の二十年後の桜川市は、そういう事件や事故がない安心安全なまちになっていた。未来はロボットが人間のようにいろいろなところにいるイメージがあるけれど、私は桜川市がこのままであってほしいと思う。私は自然に囲まれている今の桜川市が大好きだ。だから未来は事件や事故がなくなってくれればそれでいいかなと思う。
私が今朝見た夢。その中ではどこを見てもみんな笑っている。そして事件や事故がないじゃないか。人に殺されて亡くなった人ももちろんいない。車にひかれる人もひいてしまう人もいない。人が亡くなって悲しんでいる人がいない。事件や事故がなくなったのは、きっと人のことを憎んでいる人がいない、互いに思いやっている優しい人が暮らしているからだと思う。おじいさんやおばあさんがとても元気た。どこを見ても子どもがいる。どこを見ても人がいる。人口が増えている。
私が求めていた世界。こんな桜川市なら、誰でも住みたくなるんじゃないかな。今朝の夢が二十年後、本当になっているといいな。
入選 羽黒小学校6年生 北畠千夏さん
「未来の子どもと桜川市」
私は、二十年後、三十ー歳になっている。三十一歳の自分は、保育士としてこの桜川市で仕事をしていると思う。
今の桜川市も大好きたが、二十年後、次のような桜川市になっていたらいいと思う。
まず、優しいまちになっていてほしい。まちの人がみんな怖かったら、桜川市で仕事をしたくないし、嫌な気持ちになる。優しい人がたくさんいれば、わからないことや困ったことがあっても互いに助けてくれると思うし、自分もみんなに優しくしたいと思える。
さらに、きれいなまちになっていてほしい。優しい人がたくさんいても、まちが汚かったら嫌な気持ちになる。だから、道にゴミなどが落ちていない、きれいなまちだったらいいなと思う。そうなれば、市外の人からも汚いまちだと思われないし、みんな良い気持ちで生活することができると思う。
そして、子どもが生活しやすいまちになっていてほしい。二十年後の桜川市には子どもかたくさんいて、子どもが遊べる公園や広場がある。その公園は、遊具の種類が豊富で、遊具の色もカラフル。公園や広場だけでなく、図書館や塾など、勉強できるところもあって、たくさん本があって、わからないことがあったら、すぐ調べることができる。さらに、周りの大人は、子どもにとても優しくて、互いにあいさつをし、困っていたらすぐに助けてくれる。そうなれば、子どもは、遊んだり勉強したり、まちの大人の人と話したり、いろいろなことを経験して、桜川市で楽しく生活できると思う。
優しくて、きれいで生活しやすいまちだったら、私は桜川市で保育士として楽しく働きたい。そして、桜川市の子どもも、このまちで楽しく育っていけると思う。このような桜川市になっていれば、ずっと桜川市に住んでいたいと思えると思う。
入選 雨引小学校5年生 池田椛和さん
「ワクワクする桜川市」
私が思う二十年後の桜川市はもっとワクワクして充実したものになると思います。
桜川市は、二十年後も農業がさかんで、お米はもちろん、新しい特産物も出てきて、今よりさらに農業がさかんな町として有名になると思います。
今、桜川市は高齢化の影響で農業をしている人の数がへっています。そこで、ロボットが農業の手伝いをしたら、今より作業がはかどると思います。最近は、お米か高い値段で売られていますが、ロボットのおかげでお米が安く売られるようになれば、桜川市に住んでる人も、遠くから移住してくる人もうれしいと思います。そして、農業人口がへっていく中で、桜川市の豊かな農業をロボットとともに守ってもらいたいです。
桜川市は、英語教育に力を入れています。そんな良い環境で学べている私達が大人になる二十年後には、英語でコミュニケーションをとれる若者がほとんどだと思います。そうすれば、海外から安心して移住する人が増えると思います。私は、今の桜川市の文化も大好きですが、海外の方がたくさん桜川市に移住してきて、海外文化を取り入れた新しい桜川市の文化も見てみたいです。日本の文化は和洋折衷をくり返しながら新しい文化が次々に生み出されてきました。海外の文化を取り入れたおかげで、建築、料理、ファッションを中心に生活の幅がとても広がりました。私達の桜川市も和洋折衷のように、今の文化を残しながら、海外の文化も取り入れていきたいです。
AIやロボットなど未来の技術を使ったり。今学んでいる知識を生かしたりしながら、私達の手で桜川市の未来を、より一層ワクワクで充実した毎日に変えていきたいです。
入選 雨引小学校4年生 木村弦都さん
「未来の桜川」
ぼくは、二十年後の桜川市に山桜をのこしておきたいです。桜川市といえば山桜と言われるほど、美しい桜が有名です。外国人観光客が見に来る事も多く、日本の美しい景色を世界の人にも知ってほしいので、のこしていきたいです。また、山桜は昔から地域の人に愛されているので、未来の子どもたちにも見てほしいです。
それから、子どもの登下校を見守ってくれる地域の方のやさしさをつないでいきたいです。子どもが交通事こにあわないように、地域の人たちは見守ってくれています。もしかしたら、二十年後にはロボットが見守ってくれるかもしれませんが、ぼくは、登校中に地城の方が見守ってくれるやさしい桜川市のままがいいです。
桜川市には、れきしや自然もたくさんあります。雨引観音は五百八十七年にできて、今ものこっている有名なお寺です。ほかにも、ゆたかな自然があります。桜川市は、「桜」「川」という自然を想像する名前です。たくさんの田んぼや山、きれいな川にかこまれてのびのびくらしていきたいです。
社会の学習で、特産品も学びました。そばや大豆、みかんを昔から作っているので、これからも作り続けてほしいです。そばは、昔から年こしそばとしてほとんどの家庭で食べられています。大豆は、とうふ、なっとう、みそ、しょうゆ、とうにゅう、きなこ、油あげなどいろいろなものに使われています。酒よりのみかんは、小さいけれどとてもおいしいので、たくさんの人に食べてほしいです。
今の桜川市では、上そトンネルで桜川市と石岡市がつながり、桜川ちくせいインターチェンジからは、東京都や千葉県など、いろいろな場所に行くことができるようになっています。昔からある場所やものを大切にしながら、これからも発てんしていってほしいです。
たくさんのお店や新しい文化を取り入れて発てんし、二十年後も大好きな桜川市のままでいてほしいです。
入選 大国小学校5年生 安達つむぎさん
「私が思いえがく桜川市の明るい未来」
私が住んでいる桜川市は、自然がいっぱいでとてもすてきなまちです。山や田んぼが広かっていて、空気がおいしくて、のんびりした時間が流れています。近くの道を歩いていると、きれいな鳥の声が聞こえたり、ちょうちょやカブトムシなどいろいろな昆虫に出会えたりするのがうれしいです。 私は生き物が大好きなので、こんなふうに自然とふれ合える桜川市が大好きです。
春になると、山のさくらがいっせいに咲いて、山がピンク色にそまって本当にきれいです。夏は田んぼのカエルの声がにぎやかで、秋にはおいしい野菜やくだものがたくさんとれます。冬は静かで寒いけれど、白い雪をかぶった山を見るとわくわくします。四季の移り変わりを感じられるこのまちで育つことができて、私はとても幸せだと思っています。
私は、しょう来、生き物に関わる仕事をしたいと思っています。もし、桜川市に自然や生き物のことを学べるしせつができたら、働いてみたいです。動物園や牧場、植物園などができたらすてきだなと思います。いろいろな動物とふれ合える場所があれば、小さい子から大人、お年寄りも楽しい時間をすごせるのではないでしょうか。み力あるしせつが増えると、観光客も増え、桜川市がさらに活気づくと考えます。
二十年後も私は、桜川市に住んでいたいです。今と同じように自然がのこっていてほしいなと思います。そして、もっとたくさんの人がこの自然のすばらしさに気づいて、大切にするまちになっていたらさらにいいなと思います。生まれ育ったこのまちが、もっとすてきに成長していくように、私も力になれたらうれしいです。
入選 大国小学校4年生 廣澤碧さん
「ずっとすみたいな」
「かそって、何?」わたしは、そ母に聞きました。
れいわ四年にさくら川市は、かそ地いきに指定されたそうです。かそ地いきとは、おじいちゃん、おばあちゃんが多くなり、わかい人が少なくなることだそうです。
わたしの家のまわりでも、おじいちゃん、おばあちゃんの二人ぐらしの家がポツポツあります。二十年後のさくら川市は、空き家が多くなってしまうのかな。また、わたしの家のまわりには、田んぼや畑が多くあります。お年よりが作っていることが多いので、田んほや畑はどうなるのかな。わたしは少し心配になりました。
そこで、わたしは考えました。さくら川市にいじゅう者がたくさん来てくれるといいんじゃないかな。
さくら川市は自然がゆたかです。二十年後には、田んぼや畑を作る大きな会社ができて、わかい人が中心になってはたらくといいと思います。さくら川市の名産の、こだますいか、スーパーフルーツトマト、オリンピア、福来みかんを、テレビやネットでしょうかいすれば、多くの人が来てくれるのではないのでしょうか。
それから二十年後には、さくら川市の名所の雨引かん音、いそべさくら川公園、高峯の山ざくらなども、もっとすてきに整びされているといいな。新しい市役所、公園、スーパーマーケット、病院や駅、会社もできているかもしれません。車も自動そうじゅうになり、い動が便利になるといいな。
わたしも二十年後は三十才です。けっこんして子どもをうみ、このさくら川市にすもうと思っています。子どもがよろこぶイベントをたくさんふやし、みんなでさくら川市をもり上げていけたらいいなと思っています。
入選 真壁学園義務教育学校5年生 藤田真帆さん
「子供がたくさんいる桜川を目ざして」
わたしが思う二十年後の桜川は、子供がたくさんいる桜川です。今年、真壁学園は四校の学校が合ぺいしましたが、一年生は六十人ぐらいしかいません。合ぺいしたのに思っていたより人数が少なかったのでびっくりしました。どうしてこんなに少ないのでしょうか。桜川市は子供を育てにくい場所になってしまったのかもしれません。
そこで、どうやったら子供が育てやすくなるかを考えました。今より公園を多くしたら子供が安全に遊べる場所が増えます。そこではボランティアの人たちやけいさつの人が見守ってくれるようにします。見守ってくれる人がいれば子供が安心して遊べます。子供が安全に過ごす場所があれば、保ご者の人たちも心配せずに仕事や家事ができます。「桜川市は安全だ。」とアピールすれば、桜川市に住む人が増えるかもしれません。
公園の近くに子供食堂を作ってもいいかもしれません。子供だけではなく、一人ぐらしのお年よりや毎日ご飯を作るのが苦手な人などだれでも来ていい場所にすれば、大勢で楽しくご飯を食べられます。色々な人と知り合うことで、学校や家庭以外に、地域の人と、楽しく過ごすことができます。
桜川市を子供たちを育てやすい市にするには、今より公園を多く作ったり、その公園の近くなどに子供食堂を作ったりするといいと思います。二十年後の桜川市にたくさんの子供がいるようになって、二十年後の一年生は今年の人数より何倍も多くなってほしいと思います。わたしも大人になったら桜川市の一員としてがんばりたいです。
入選 真壁学園義務教育学校6年生 小林結生さん
「いつまでも大好きな桜川市」
今の学校は真壁学園ですが、私にとっての母校は樺穂小学校です。私は樺穂小で五年間過ごしてきました。樺穂小で過ごしている間は、みんなと一緒に当たり前に卒業できると思っていました。でも樺穂小が閉校になると聞いた時は、当たり前にあった幸せは薄い紙のようなものにのっているだけだと感じてしまいました。なぜ樺穂小が閉校してしまうのか、なぜみんなと一緒に卒業できないのか。今でも通学路を歩くたびに思います。
樺穂小で育ったこと、学んだこと、友達や先生と話したたわいもない話。みんなと過ごした時間は全部全部、私にとって宝物です。もちろん、真壁学園もすごくすてきな学校です。新しい友達との出会いがあり、新しい先生方や友達と毎日楽しい時間を過ごしています。でも、ふとしたときに感じるのは、自分の子供も樺穂小に通わせたかったなということです。一緒に校歌を歌ったり、樺穂小の伝統行事の話をしたり・・そんなことを、自分の子供ともしたかったなと思います。
令和四年四月に桜川市が過疎市として認定されました。子供を産む率が急激に下がり、少子高齢化につながりました。私はもう、これ以上桜川市の子供が減って、閉校になる学校が増えるのは嫌です。大好きな学校が途中でなくなる寂しさを、他の人に味わわせたくありません。
私は緑豊かで、歴史もある、桜川市が大好さです。人も町も優しく、自然が美しい桜川市がずっとずっと続いてほしい。私が育ったように、自分の子供も、桜川の人々や自然に守られながらすくすくと育ってほしい。
だから私は大人になって桜川市や地域を守っていきたいと思います。そして二十年後もみんながこの素敵な桜川市で笑顔いっぱいに暮らせるようにしたいと強く思っています。