指定文化財 歴史資料
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中世から熊野修験の大先達を務めた慶城坊、蓮上院の末裔に伝えられた天神名号で、「南無天満大自在天神」の九字を記し、左下に花押を据える。花押から聖護院門跡であった道興の筆になることを確認できる。
道興は近衛家の生まれで、幼くして出家し聖護院に入り、後に聖護院門跡を務めた。当時、聖護院門跡は熊野修験を統括する熊野三山検校を兼任し、さらに全国の修験寺院、山伏の組織化を進めようとしていた。
道興が東国を巡歴した際の記録である『廻国雑記』の文明18年9月の記事に「山田慶城といへる山伏の坊にやどりてよめる」とあり、この天神名号は文明18年9月のものと考えられる。
慶城坊は幾つもの中世史料に登場し、領主真壁氏の在地支配と熊野信仰の関係や、本山派修験大先達としての存在、山田郷の富有仁としての性格など、常陸国における中世の在地動向を考えるうえで重要な役割を果たしている。
併せて伝来した文書群には、熊野長床衆としての来歴を示す「聖護院入峯行列記」や、中世から近世への移行期の様子を伝える「上蓮院由緒書」などがあり、敷地内に氏神としての熊野神社を祀るなど、常陸国における本山派修験大先達としての系譜を現在に伝えている。