県指定文化財 彫刻
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五大力菩薩は鎮護国家の思想と関係が深く、強大な力で国を護るとされる。怨敵調伏を願って造像されることがあり、地元では平将門伝説と結びついて将門調伏のために作られたと伝えられてきた。
中尊像の衣文の表現や光背の文様などから平安時代後期の製作と判断される。また、右内側像の背板に墨書が記されており、その意味する内容が不明瞭でまだ検討すべき点が残るものの、文中に「治承二年」の文字が見える。
全国的に見て五大力菩薩像の作例は少なく、特に平安時代に遡る彫刻としては本像と、奈良の秋篠寺の像のみが知られている。ただし、秋篠寺のものは5軀のうち4軀が中世の補作であり、平安時代の作である5軀すべてが揃って現存するものは本像が唯一である。
なお、本像は当面の間、吉祥院の本寺である月山寺の美術館で展示している。
※写真 東北大学東洋・日本美術史研究室撮影