このコラムを書いている2025年はお米に関する話題が広く注目を集めています。お米をつくること、つまり稲作が日本に伝わってきたのは縄文時代の終わりごろで、続く弥生時代になると日本列島各地に広まっていったと考えられています。
普段あまり気にとめることはないかもしれませんが、イネ目イネ科イネ属イネという名の植物を栽培・収穫し、白米にして食べるまでにはたくさんの作業工程があり、様々な道具が必要になります。玄米の状態の備蓄米を精米するのに時間がかかるため、店頭に並ぶのが遅くなる・・・といった話をニュースで聞いたことがあるかもしれませんが、精米もその作業の一つです。
今回のコラムでは遺跡から出土した道具などを通して、白米に至るまでの作業について少し考えてみます。第1回目は稲穂を摘む、稲を刈り取る道具です。
1つ目の道具(写真1)は桜川市磯部地区から出土した弥生時代の「石包丁」です(今からおおよそ1800年前)。両端が折れてしまっていますが、残存している幅は約7cm、粘板岩という石でつくられています。穴にひもを通して輪をつくり、そこに指を入れて持って使います。(イラスト1)
2つ目の道具(写真2)は鉄製の鎌で、桜川市長方地区の辰海道遺跡から出土した平安時代のものです(今からおおよそ1150年前)。幅は約18cmで、本来は木の持ち手が付きますが、地面の下にある間に腐ってなくなってしまいました。
どちらの道具も稔ったイネの実(稲穂)を収穫する道具ですが、形や材質が異なります。この違いの理由は、貴重品である鉄製品が徐々に世の中に普及するようになっていった、ということもありますが、弥生時代にはイネの品質がばらばらで、稲穂ごとに稔る時期が異なるため、稔った稲穂を選んで石包丁で稲穂部分のみを摘み取っていたものが、時代がたつと稲穂が同時に稔るような品種改良が進み、まとめて根元から刈り取る鎌が使われるようになったことによる、とも考えられています。

写真1

イラスト1

写真2
(学芸員 越田)