• 【ID】P-3423
  • 【更新日】2014年3月12日
  • 【アクセス数】
  • 印刷する

桜川市真壁伝統的建造物群保存地区

画像:御陣屋前通り南部 国選定重要伝統的建造物群保存地区
選定年月日 平成22年6月29日
所在地 桜川市真壁町真壁 /約17.6ha
選定基準 伝統的建造物群及び地割がよく旧態を保持しているもの

詳しい所在地についてはこちら

桜川市真壁町真壁を中心とする地域には、約100棟の登録文化財をはじめとする数多くの伝統的な建物が存在します。このうち約17.6haが国の重要伝統的建造物群保存地区になっています。

江戸時代から道幅もほとんど変わらない町割りに、江戸時代末期から昭和前期の様々な種類の伝統的な建物が建ち並び、商家町でありながら、薬医門や板塀が目立つのも特徴です。

【地区の概要】

※末尾の関連ファイルにスライドがあります。ご参照ください。

御陣屋前通り北部

平成17年まで、真壁郡真壁町大字真壁と称していたように、その歴史は古く、清寧天皇の御名代が置かれたことが地名の由来とされます。平安時代末期に常陸平氏の一派が拠点を置いて真壁氏を名乗り、中世を通じほぼ一貫して当地を支配しましたが、江戸時代には笠間藩の一部となり、城下中央に真壁陣屋が置かれました。

都心から程近い距離にありながら、豊かな自然環境と、保存状態の良い史跡、古文書に恵まれ、昭和61年には真壁の鎮守である五所駒瀧神社の祭事が、国の記録作成等の措置を講ずべき無形の民俗文化財に選択され、平成6年には真壁城跡が国史跡に指定されています。桜川市真壁の町並みは、この真壁城の中世城下町を起源として形成されたもので、近世以来、五所駒瀧神社の祭事が行われている舞台でもあります。

下宿通り

真壁の特徴の一つは、中世城下町と近世陣屋町の遺構を残す町割りで、広い画像:下宿通り道幅も木綿市を中心とする市町としての名残を現在に伝えています。江戸時代には真壁城が廃城となりましたが、近郷に大きな町場が成立しなかったことも幸いし、地域経済・文化の中心地として発展を続けました。特に江戸時代前期を中心に、上方の木綿を東北地方の商人に売り捌く中継地として繁栄の基礎を築き、元禄時代には定期市だけでも月に12回、木綿問屋、繰綿商を中心に年間1万両を稼ぎ出していました。

江戸時代後期に入ると、木綿流通の主力が地回り品に移行し、商取引の中核も木綿から米穀、酒造へと移りました。常設店舗の普及もあって定期市が姿を消し、真壁の町は大きく変化してゆきます。

御陣屋前通り中部

そうした中、天保8年の大火によって町並み景観も大きく変化します。それまでは萱葺きや板葺きでしたが、陣屋が瓦葺き、入母屋となり、商家では見世蔵や土蔵を建設するようになりました。現在に残る最も古い建物は、この大火直後に建てられたものです。

中部明治時代に入ると真壁銀行などの資本が整備され、再び真壁の町が中心性を向上させます。製糸業の興隆もあって、真壁の中心となる御陣屋前通りには呉服太物商が軒を連ねました。見世蔵や土蔵の建設ラッシュもこの時代です。また、藩の規制が外れ、商家が次々と薬医門を建設しました。

大正時代には筑波鉄道が開通して真壁駅が開業、出し桁の目立つ二階建ての町家が普及するのはこの頃です。昭和初期にかけて洋風建築なども建設され、真壁のもう一つの特徴である多様性に富んだ町並みは、この頃に基礎が出来上がりました。その後も時代の特徴を示す建物が少しずつ入り混じり、現在の真壁の町並みが構成されています。

【町並み保存のあゆみ】

昭和50年代から真壁の伝統的な建造物の取り壊しが目立ち始めました。住民の中には解体作業を写真に収め、記録に残す活動を行う人もありましたが、大きな流れには至りませんでした。歴史民俗資料館が開館し、歴史編さん事業も開始されましたが、真壁の町並みの価値を評価し、保存につなげる活動が始まるのは、平成に入ってからです。

平成5年に、伝統的な町並みの継承・活用を志す住民有志が保存団体を結成、専門家に真壁の町並み調査を依頼し、初めての本格的な調査が実施されました。さらに、町並み写真展や、石蔵でのギターコンサートなど、伝統的な建造物の保存に向けた啓蒙活動を開始、町並み保存における大きな役割を担ってゆきます。

保存団体の提言を受け、平成11年には行政として登録文化財制度の積極活用を開始、短期間で104棟の登録を進め、真壁は登録文化財の町として脚光を浴びることとなりました。徐々に来訪者が増加し、真壁の町並みが高い評価を得るようになると、多くの住民の間にも自分たちの町並みを見直す気運が起こり、住民の盛り上がりを受けて、平成15年度から伝統的建造物群保存対策調査を実施、町村合併を経て平成19年に「桜川市伝統的建造物群保存地区保存条例」を制定、平成21年に「桜川市真壁伝統的建造物群保存地区」をスタートさせました。

【震災を乗り越えて】

東日本大震災では全国の伝統的建造物群保存地区の中で最も被害の大きな地区となりました。幸いに怪我人はありませんでしたが、伝統的建造物の9割以上に被害が発生しており、現在も災害復旧事業が続いています。伝統的な建物を文化財として未来に伝えるための大切な修理になります。

平成26年9月現在で、完全に復旧が終了した建造物は被災物件の約4割です。今回の災害復旧事業に合わせて、所有者の意向により、復元修理工事を実施している建造物もあります。災害復旧とともに景観の向上を図る取り組みです。まだ完全復旧には時間がかかりますが、皆様の応援をよろしくお願いします。

 被災伝建1  修理伝建3
被災直後(H23.3.12) 復興の状況(H26.9.30)
伝建修理1 伝建修理2
災害復旧と一般修理を同時に進め、景観の向上を図っています。
 

このページの内容に関するお問い合わせ先

都市整備課

〒309-1293 桜川市羽田1023番地 大和庁舎 1階

電話番号:0296-58-5111(代表)

ファクス番号:0296-58-7456

メールでお問い合わせをする

アンケート

桜川市ホームページをより良いサイトにするために、皆さまのご意見・ご感想をお聞かせください。
なお、この欄からのご意見・ご感想には返信できませんのでご了承ください。

Q.このページはお役に立ちましたか?