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  • 【更新日】2026年4月22日
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イネ目イネ科イネ属イネと白米の間の考古学(その2)

 前回のコラムでは稔ったイネを石包丁や鉄鎌などで刈り取っていたことを書きました。第2回目はその後を考えてみます。
古来日本では米が税として納められていました。皆さんも「租庸調(そようちょう)」という言葉を聞いたことがあると思います。このうち、「租」が田に課せられた税ですが、古くは「穎稲(えいとう)」という稲穂が付いた状態のイネで納めることが基本で、一部籾(もみ)の状態で納めていました。その後、籾から玄米の状態で納めるように変わっていき、江戸時代の年貢まで引き継がれていきました。

 穎稲→籾→玄米へと加工していくには道具が必要です。穎稲から籾への加工は「脱穀(だっこく)」といいます。古代には棒で稲穂を叩いて脱穀していたようですが、出土品が少ないので実態は良く分かりません。江戸時代になると木製の台に櫛状の鉄歯を付けた「千歯扱き(せんばこき)」という道具が発明され、能率が飛躍的に上がったそうです。籾から玄米への加工は「籾摺り(もみすり)」といいます。江戸時代には木製の木摺臼(きずるす)や粘土製の土摺臼(どするす)が使われたようですが、それ以前の時代では木の臼と縦杵(たてぎね)で行っていたようです。この縦杵が、桜川市内ではありませんが、近隣の筑西市栗島遺跡から出土しています。

サンプル画像栗島遺跡は国道50号バイパス工事に先立って調査された遺跡で、現在水田となっている場所から昔の川の跡が見つかり、そこから多数の木の道具が発見されました。木の道具は使われていた時代から現代までの間に腐ってしまうことが多いのですが、水に浸かっていると腐らず残ることがあります。そうした木の道具の中に縦杵がありました。奈良時代ごろのものと考えられるこの縦杵は、長さ82.3cm、直径が太い所で約10cm、細い所で約3.6cm。材質はクヌギ又はアベマキです。現代で餅つきに使う横杵とは違い、縦に使う杵で、月に居るウサギが使っている図柄を想像すれば想像できるでしょうか。この縦杵で籾をついて玄米にしていたと思われます。よく見ると先端が尖っている方と平たい方があり、米の状態で使い分けていたと考えられます。

 栗島遺跡からは他にも多数の道具が出土していますが、字の書かれた木簡も出土しています。その一つに「舂米(しょうまい/つきしね/つきよね)」と書かれたものがあります。これは「舂(つ)いた米」を指し、ここでは玄米のことと思われ、栗島遺跡で籾を玄米にして役所に納めていたことが分かりました。

サンプル画像1

(写真1)

サンプル画像2

(写真2)

(学芸員 越田)

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