
(八柱神社 正面 拝殿)
京都嵯峨の大覚寺の末寺であった金剛院は明治初めに廃寺となり、華麗な聖天堂のみが残されて八柱神社の本殿・拝殿に利用されています(写真1)。 現在の建物は天明5年(1785)の建立で、拝殿は解体調査を元に昭和62年(1987)に全面的に改築復原されました。なかでも本殿は全体が極彩色に彩られ、精緻な彫刻類が建物の外周を埋め尽くす豪華さは圧巻です(写真2)。柱や桁の薄肉模様は勿論、壁面や脇障子の上から下まで人物や動植物の篭彫り彫刻が施され(写真3)、肘木や尾棰木には獅子、象、龍などの動物頭彫刻、とまさに粋を集めた装飾建築です。彫刻には下野国富田(現栃木県大平町)の磯辺義左衛門、義兵衛親子が参加しています。金剛院時代は松平定信筆の扁額が掛けられていました。
聖天とは大聖歓喜天の略で、夫婦和合などの御利益がある仏教守護神です。
男性原理、女性原理などを超越し、宇宙と一体化することにより歓喜の境地に至るというインドの思想に発し、象頭の男女が抱き合う形をとります。八柱神社には20cmほどの銅像がありました。香油を仏像にかける浴油供(よくゆく)の儀式があり(弘法大師の命日である旧暦3月21日に行うため御影供(めいぐ)と呼ぶ)、多くの参詣客や屋台で賑わいました。この聖天供という密教儀式は秘法で、聖天像も多くの場合秘仏となっています。八柱神社の聖天像は残念ながら現在のところ行方不明となっています。
(写真1 全景)
(写真2 本殿の彫刻)
(写真3 篭彫り彫刻)