真壁城主 真壁氏
真壁城を築いたのは?
はじめに真壁城を築いたのは真壁長幹(まかべたけもと)という人物と考えられています。
真壁氏は平安時代末の承安年(1172)、平長幹が真壁郡司として郡内真壁郷に入部し、真壁郡名を名乗ったことから興りました。
真壁領
常陸国内での平氏系武士の中では、大掾(だいじょう)氏とともに武家としての勢力を保ち、鎌倉~室町時代には郡内に一族を分立させて、「真壁領」を形成します。
夜叉真壁
戦国時代には、常陸国内で大きな勢力を有していた佐竹氏の同盟者として臣従しました。
この時代に、「夜叉真壁」として戦場で名を轟かせた真壁久幹(まかべひさもと)は、伝説や絵画にも登場し、豊かな人物像を知ることができます。
移封先は秋田角館
慶長7年(1602)の出羽移封により、430年間、19代にわたって納めた「真壁領」から離れることになりましたが、家臣の多くはこの地に残り、現在にいたる真壁の礎を築きました。
古文書にのこる真壁氏
政治、経済、文化、宗教等、様々な分野に支配と影響力を及ぼした真壁氏の姿は、「真壁文書」「真壁長岡古宇田文書」など豊富な古文書類によって知ることができます。常陸国内の武家の姿だけでなく、中世という時代を考えるうえでも貴重な資料として、数多くの方々が調査・研究に取り組みました。
地下に眠る真壁城跡
現在、桜川市教育委員会では真壁城跡の発掘調査に取り組んでいます。現在残された真壁城跡には、築城当初の姿、年重ね修理されながら使用された姿、最終的な役目を終えた姿、その後の現代に至るまでの姿が刻まれ、古文書にひけをとらない内容の資料が土の中に残されています。各場面を慎重に解きほぐして理解するのは、本当に根気のいる作業です。
また、調査と研究を続ける中で、得られた成果は、これまでの定説を裏付けたり、覆したり、全く新しい内容であったりと様々ですが、真壁城の具体像理解に向けて考える日が続いています。