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🐗真壁城跡現地説明会資料🐗

🐗真壁城跡現地説明会資料🐗

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本丸 一部発掘
二の丸 一部発掘
中城 北部、中央部、南部を発掘 
外曲輪 発掘調査済み、整備完了。
北部、中央部、東部、南部を発掘。
真壁城跡の発掘調査
1981年(昭和56):本丸
1995年(平成7年)以降:二の丸・中城・外曲輪
2022年(令和4年度):中城
整備(復元工事)の状況
完了:外曲輪
整備中:中城
整備予定:本丸、二の丸
用語解説


本丸
真壁城の中心部。一の堀が周囲を囲む。施設建設の際に一部を発掘調査。

1981年(昭和56年度)
※No Image※
真壁城跡、初の発掘調査
・15~16世紀の建物の痕跡(柱穴)が発見されました。多数の柱穴の存在から、建物は建て替えが行われたと考えられます。

曲輪内を分割する16世紀のを発見しました。本丸の守りを強固にするためのものと推定しています。

(調査報告書『真壁城跡-中世真壁の生活を探る-』より、1983年真壁城跡発掘調査会刊行)


二の丸
本丸の周囲を囲う曲輪。本丸西側の市街域の地割りにもその痕跡が残る。

2010年(平成22年度)
『H22真壁城跡現説資料』の画像
二の丸の北部で中世の通路を確認
通路は北虎口から堀際を通る形でつくられ、一方は本丸方面、もう一方は中城方面へと続いています。幅の狭い造りや、路面が堀側へ傾斜するなど、敵が通りにくくする工夫があることが分かりました。


中城なかじょう
庭園が設けられた曲輪。発掘調査を継続中。

2021年(令和3年度)
『R3真壁城跡現説資料』の画像
【中央部】庭園の園路と城道(城内の通路)の分岐点を確認
【南部】池埋め立て以後の曲輪の様子を調査
南部
・池は埋め立て以後に鍛冶工房を伴う駐屯地へと造り替えられた可能性が高いことが分かりました。

・池の埋め立て後の時期の鍛冶炉跡などを発見しました。

・池の埋め土の表面から陶磁器のほか大筒の玉と思われる遺物が出土しました。

・調査継続中。

2020年(令和2年度)
『R2真壁城跡現説資料』の画像 
解説動画 令和2年度(2020年)の現地説明会と同じ内容を動画にしました
 ※動画が表示されない場合は別のブラウザでお試し下さい。
【中央部】庭園内で小土塁確認 第18代氏幹による造設
【南部】池跡を調査 第18代氏幹の時期に埋め立てか
南部
・池は永禄年間(1558~1570)から天正年間(1573~1592年)まで機能した可能性が高く、第17代久幹の時期に造られ、第18代氏幹の時期に埋め立てが行われたと考えられます。

・池を埋めている土の中からは久幹の時期の茶器(天目茶碗や染付磁器など)や酒杯(かわらけ)が出土し、池の埋め土の表面から氏幹の時期の陶磁器のほか鉄釘などの鉄製品が出土しました。

2019年(令和元年度)
『R1真壁城跡現説資料』の画像
排水溝付きの石敷き遺構を確認 美観意識した排水施設か
 
2018年(平成30年度)
『H30真壁城跡現説資料』の画像
庭園中心に向かう園路跡を確認
 

2017年(平成29年度)
『H29真壁城跡現説資料』の画像
池は総面積1,500平方メートルで県内最大級と判明
・南池、水路状の池、北池という一連の水の流れの末端の様子が明らかとなりました。

・前年度に確認した薬研堀の最も下流の部分は二の堀や三の堀には接続しないことが分かり、池の末端であることが分かりました。この堀は、他の池と明らかな形態の差(特に深さ)があることや更に下流がないことから、北池からあふれた水の排水とその水の貯水用の池と推定しました。

・これらのことから中城中央部の池の面積が1,500平方メートルであることが分かり、同時期の池の遺構として県内最大級の面積を持っていたことが判明しました。

2016年(平成28年度)
『H28真壁城跡現説資料』の画像
池の末端に貯水と排水を兼ねた大溝見つかる
・北池よりも下流に位置する部分で薬研堀を発見しました。薬研堀は南端部で北池と接することが分かりました。薬研堀と北池の境は仕切りのように高くなっており、北池から溢れた水は薬研堀へと流れ込む構造になっていました。薬研堀はさらに北西方向へ延びることが分かりました。

2015年(平成27年度)
『H27真壁城跡現説資料』の画像
北池さらに拡大 庭園敷地全体は7000~8000平方メートルで県内最大級
・北池の範囲はさらに西側へと拡大し、さらに調査区の外まで続くことが分かりました。

・庭園としての敷地の範囲は県内最大級であることが判明しました。

砂敷き通路(園路)の一部が出土しました。

2014年(平成26年度)
『『H26真壁城跡現説資料』の画像』の画像
北池の存在も判明 周辺から茶室や門の跡も
・中城中央部は庭園で占められていたことが判明しました。

・北池を発見しました。北池は永禄年間(1558~1570)から真壁城廃城(1602年)まで機能した可能性が高いことが分かりました。その時期は第18代真壁氏幹が豊臣秀吉による朝鮮出兵のため肥前名護屋城に在陣した時期とも重なります。

・北池の南岸と東岸に茶室と思われる小規模な建物跡を発見しました。

・水路状の池の西側では小規模建物跡や飛び石、園路跡、門跡を発見しました。

・安土桃山時代の露地遺構(茶室や園路など=茶庭)の発見は数が少なく貴重です。

・城郭庭園の例は肥前名護屋城の山里曲輪(豊臣秀吉居所)や、同地の堀秀治陣などにあり、肥前名護屋城に在陣した真壁氏幹が影響受けた可能性があります。

大量の酒杯(かわらけ)や中国産天目茶碗、染付などの出土物から、北池周辺でも酒宴や茶会が催されたと考えられます。

2007・2008年(平成19・20年度)
※No Image※
中城北部の調査 北虎口・東虎口などの様子を確認
・北虎口では門の痕跡、東虎口では堀の中から中世の橋の跡(橋脚)を発見しました。橋は敵の進攻を阻害するため戦時には落とされたと考えられます。

・中城中央部(庭園ゾーン)と接する地点では土塁痕跡を確認し、虎口状の構造となっていたことが判明しました。

・二の丸、中城庭園、外曲輪、そして城外をつなぐ通路も出土しました。

 (史跡真壁城跡発掘調査報告第8集『史跡真壁城跡8 中城北部の調査概要』より、2015年桜川市教育委員会刊行)

2004・2005年(平成16・17年度)
※No Image※
池・水路状の池の全面発掘
・南池の周囲で大規模建物跡群や小規模建物跡、舞台状遺構、水路状の池を確認しました。

・大規模建物跡群は庭園の中核施設と推定され、
迎賓館的な役割を持っていたと考えられます。

・建物群周辺からは大量の酒杯(かわらけ)のほか、国産および中国産の茶器(天目茶碗や染付磁器など)が出土し、酒宴や茶会が催されたことが推定されます。

・水路状の池は南池の北側へと続くことが分かりました。

 (史跡真壁城跡発掘調査報告第6集『史跡真壁城跡6 中城中央部の調査概要』より、2008年桜川市教育委員会刊行)

2000・2001年(平成12・13年度)
※No Image※
中城中央部・南部の調査 中城庭園の発見
中央部
・池跡(南池)や石組水路などを発見し、中城庭園の存在が初めて明らかとなりました。

南部

・中央部と同時に、南部エリアでも茶室とみられる小規模な建物跡や池跡、飛び石などを発見しました。

 (史跡真壁城跡発掘調査報告第5集『史跡真壁城跡5 中城南部の調査概要』より、2008年桜川市教育委員会刊行)



 外曲輪そとぐるわ
城の中枢部のなかでも最も東側に配された曲輪。

1997~2001年(平成9~13年度)
※No Image※
外曲輪中央部・南部の調査
南部
・4時期の生活の痕跡が見つかりました。第1期は15世紀後半、第2期は16世紀前半、第3期は16世紀後半、第4期は16世紀末から17世紀以降です。第1~3期は戦国時代、第4期は安土桃山時代です。

・16世紀前半の池跡が出土しました。池の中には橋脚の痕跡が残り、南北に橋が架かっていたことも分かりました。

 (史跡真壁城跡発掘調査報告第1集『史跡真壁城跡1 外曲輪南部の調査概要』(2004年)より)

中央部
・段差地形が出土しました。平場となっているところは戦国時代の屋敷地であることが判明しました。段差の下からは区画と排水機能を兼ねた溝が出土しました。屋敷地からは柱間1.9mで井戸を伴う建物跡が出土しました。

 (史跡真壁城跡発掘調査報告第2集『史跡真壁城跡2 外曲輪中央部の調査概要』より、2005年桜川市教育委員会刊行)

2002年(平成14年度)
※No Image※
外曲輪中央部・東部・北部の調査
中央部
・第1期(15世紀後半)の館の薬研堀)が出土しました。薬研堀の中からは瓦が出土し、瓦葺きの建物の存在が想定できます。

・第2期(16世紀前半)の墓の跡が出土しました。第3期の造成土によって埋め立てられていました。

・第3期(16世紀後半)の屋敷地(建物跡と段差地形と通路)が出土しました。建物跡は柱間が5~6間もある大規模なものであることが分かりました。

東~北部
・かつてあった土塁の規模や形が分かりました。土塁の推定幅は東側で約15m、北側で11~12mです。補強工事と思われる痕跡も出土しました。

北虎口
虎口の形が分かりました。四の堀へ平場が張り出すような形状に造られていました。

・四の堀の中から橋脚(木杭)が出土しました。橋の推定規模は長さ4m、幅1.5mです。

四の堀の中から木樋が出土しました。

 (史跡真壁城跡発掘調査報告第3集『史跡真壁城跡3 外曲輪中央部・東部・北部の調査概要』より、2006年桜川市教育委員会刊行)

2003年(平成15年度)
※No Image※
外曲輪北部・中央部の調査
北部
土塁の形や規模が判明しました。
北部の土塁の規模は直線部で幅は8~10mで、南部の土塁の約半分でした。屈曲部は直線部に比べて曲輪内側に大きくなることが分かりました。

・第4期(16世紀後葉~末葉)の排水溝(薬研堀)が出土しました。排水溝は曲輪を区切ると比べて規模が小さく、低地に面し、外曲輪北部を大きく囲むように一周します。溝内の水は西側から三の堀へ排水される構造であることも分かりました。

かつて三の堀の屈曲部に沿って土塁状の盛り土があったことが分かりました。

北虎口付近
・四の堀の底から畝状施設(障子)や杭列が出土しました。虎口付近が厳重な構造であることが分かりました。

中央部
第1期(15世紀後半)の館の堀(薬研堀)が出土しました。堀の西側は三の堀で途切れており、三の堀が掘られた際に破壊されたと考えられます。

・通路遺構の一部(側溝)が出土しました。通路は西は中城、南は外曲輪南虎口へ続く様子が明らかとなりました。

(史跡真壁城跡発掘調査報告第4集『史跡真壁城跡4 外曲輪北部の調査概要』より、2007年桜川市教育委員会刊行)

 

用語

柱穴:ちゅうけつ。建物の柱を立てる際に掘られた穴。発掘では土で穴が埋まった状態で見つかります。

曲輪:くるわ。城内の平場。堀に囲まれ、武将や兵の居住や駐屯などに利用されます。

堀 :ほり。地面に深く掘られた長い溝。城の堀はその周囲に巡り、曲輪の間を通る。

溝 :みぞ。長細いくぼみ。区画や排水のための施設です。

本丸:ほんまる。城の中心部となる曲輪。城主の住まいが置かれ、死守すべき場所です。

虎口:こぐち。曲輪の出入口。土塁や堀と組み合わされ、攻守に優れた形をとります。

土塁:どるい。敵の進攻を防ぐために築かれた盛り土。曲輪の端、堀際ほりぎわに築かれます。

飛び石:とびいし。庭園の園路に、歩くために置かれる石。

かわらけ:素焼きの器。主な形は小皿。酒杯や食器のほか、灯りの油皿としても使われました。

天目茶碗:てんもくちゃわん。抹茶(濃茶)を飲むための茶碗。名前の由来は中国の禅寺(天目山)です。

薬研堀:やげんぼり。薬研の形に似て、Vの字形に底が狭く掘られた堀。この形は堀中の敵の移動を難しくします。

障子:しょうじ。空堀の底につくられた土手。堀中の移動の障壁となります。


関連ページ

真壁氏の歴史
真壁城跡発掘日誌


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このページに関するお問い合わせは文化財課です。

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【電話番号】0296-58-5111(代表)

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